1103でろでろお茶会(その2)

山崎美穂
1103でろでろお茶会(その1) はこちら♪

「デロデロ~ンを出ろ出ろ~だけだと、
ただの愚痴の場になっちゃわない??」

↑私たちもはじめるまではドキドキ・・

でも、そんな心配はありませんでした
(o´▽`o)v


私たち、思いました。

やってみて、核心に変わりました。

「でろでろお茶会」は必要とされているって!


どうして「でろでろお茶会」は楽しかったか。

私なりに考えてみました。

今回はそれを書いていきます^^



1.誰にもいえないことが
  なぜか話せるから、すっきりする☆

この声をいただけたのが、
今回一番うれしかったです!


たしかに。

たとえ親しい仲でも、
いや親しい仲だからこそ、

思いのたけをそのまま話すと、

「それは~~が悪いよぉ」

真っ向から否定されちゃう
かもしれないですよね。。

だから、親しい仲だからこそ
いえないこともあるものです。


あと、親しい仲じゃなくても、

たとえばセミナーとか
学びの集まりとかで、

「楽しいはずの場で
 こんな愚痴言っていいのかなぁ...」

と遠慮しちゃったりもしますよね。


その点、でろでろお茶会では、

何でもいってしまって大丈夫!って、

みんなで思える雰囲気を
作ることが出来ました^^



2.なんか知らないけど、たのしい

これ、なんでなんでしょうね~(笑)

たぶん、最初からコンセプトが

「でろでろを出ろ出ろして、笑い飛ばす」

だからでしょうね(笑)



3.知らないことをたくさん知れるし、
  新しい視点にも気づける

毎日会っている人とは、
また別の人同士で集まることで、

お互いの感性が刺激されるし、

新しい気づきも得られるみたいです^^

旦那も、
水を得た魚のように気づきまくり
とっても楽しそうでした。


↓こちらは、ちょ~~リラックスモード♪
でろでろお茶会2.jpg

4.承認すれども共感せず

でろでろお茶会では、

一見愚痴になってしまう思いの吐露も、

愚痴の言い合いにはなりません。


もし、でろんでろんに、

「わかる~」と共感してしまうと、

元々でろんでろん
(だと自分で勝手に思ってしまっていたもの)
に対してまで

他人が共感してしまうことで

場が愚痴大会になってしまうのです。


でも、「でろでろお茶会」では、

「わかる~」ではなく

「でた!!」とか

「あるある~」とか

「あ、そうなんだ~」なんですよね。


そして、最後は「いいね!」です(笑)


そう、
「やだな~」とか「うーん、ぐるぐる」とか

思うこと自体は正常なんです!


それを否定しちゃうと、
そう思っている自分をも
否定してしまうことになり...

いつまでたっても
「でろんでろん」は胸に溜まったまま
(´;Д;`)

でも、「いいね!」だと、
「あ、いいんだ・・・!」になり、

次に進める。


でろんでろんな気持ちになったり、
そう思っちゃう自分は否定しちゃいけない。

それは本音ですからね。

向き合うべき課題だったりするんです。

それを避けることで
本質にいつまでたっても到達しない、

問題(だと自分で思っていること)
についても解決しない、

ということは避けたいですよね。


ただただ、思いを溜めるでもなく、

または単なる愚痴大会ではなく、

その先に進みたいとか
前向きにすごしたいとか

思う望むかぎりにおいて、

「いいね!」「あ、いいんだ!」で
次に進めるってだけなんです。



5.「嫌だイヤダ!」をはっきりさせると
  「ほんとは好き」が浮き彫りになる

目の前に起こることに対して

「いやだなぁ」と思ったり、

予め避けたいなと思うことに対して

いやだと思うことって、

ぜんぜんいいと思うんです。


大事なのは、

「好き」



「いやだ」

区別をしっかりと自覚すること。


言葉にしないと、わからないことだって、
たくさんあるんです。

いや、むしろ、
言葉に出来ないことって、

まだ自分の中では本当はわかっていないこと。


何がいやなのか。

どうしていやなのか。

それをひたすら言いまくるのも、

いいかもしれません。


いやなものを沢山だしていくうちに、

いやじゃないものは何かな?

と思う心の準備も出来てくるし、

考えが整理されることもあると思うんです。


そうすることで、初めて前向きに、

物事を捉えることが、

やっとできるようになるのではないでしょうか。


6.結局、親との関係性をどう捉えるか

今回出てきた話題で、

けっこう本質的で重要な話題は

これでした。

この数十年間、親との関係性で難儀し、

向き合ってきた私にとってはもう、

お茶の間の会話レベルではあるのですが(苦笑)


やはり私だけじゃなくて、みなさん
「問題」を抱えていらっしゃるようです。
( ,,´・ω・)ノ"(´っω・`。)

そんななか、

ある参加者さんからのシェアで、

はっとした気づきがあったので、

ここでシェアします。


それは、

「親から期待通りの答えが返ってこなくても

 少しでも親が喜ぶ顔とか心が動いた瞬間を

 垣間見ることが出来たなら、

 それはもう親孝行なんだよね」

というもの。


たしかに。

自分の子供だから、心が動かされる。

それは、逆説的にいうと、

親にとって私がかけがえのない

無視できない

たったひとつの存在だってことを示してる!

たとえ何を言われても。。


私も母から

「お前がお腹にいたから、結婚したんだよ」

といわれ、その結婚は母を不幸にしたので

ずっと自分の存在意義について

悩んできました。


けど、今までを振り返ってみると

地元からほとんど出たことがない母は

私の引越し先に来て旅行することを

楽しんでくれたり。

弟達が地元にいるにもかかわらず

ことあるごとに

「みほ~みほ~」と甘えてくれたり(笑)


もう、何を直接言われたか、

とかは些細なことのような気がして。

ただただ、こういうのって、

幸せなこと、ですよね。

長くなったので、次回に続きます。




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