お互いの壁を乗り越え、手を取り合うまで④

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お互いの壁を乗り越え、手を取り合うまで①
お互いの壁を乗り越え、手を取り合うまで②
お互いの壁を乗り越え、手を取り合うまで③



2015年10月から彼が『医者になる』と決意し、

彼を精神的に支えるために2016年2月に入籍。

4月から一緒に住みだし、

大阪大学医学部7月に大阪大学1次試験があって


結果、惨敗。。


さて、諦めるかと思いきや??


『俺、阪大医学部を目指す』といった彼は

他の大学を受けずに、


『もう一度、阪大を受けさせてください!』

さらに、

『学生の間も、奨学金とバイトして、食べるのには困らせないから

 仕事を辞めて支えてほしい!!』

さすがの私も・・  本気で引きました。。


当時は私も、愛媛で働いており、

2016年9月の結婚式の準備なども、ほぼ一人で行っていました。

そんな中喧嘩しながらも、支えれたのは

彼が仕事をしながら受験してくれていた事・

2人の将来や子供の事を考え、少しでもお金を残そうとしてくれた

気持ちがあったからでした。

なのに『二人して、無職になれ??』


私は、両親が共働きだったこともあり

『結婚したら女は家庭に入るもの』とは全く考えてなく

『母親にしんどい仕事を辞めて孫守りで余生を楽しんでもらいつつ、
 私も収入源として頑張ろう』

と思っていました。

特に、旦那が学生したいと言い出してからはなおのこと

『私が大黒柱として、頑張らないと』と躍起になっていたのです。


今から思うと、当時は、かなり追い込まれていました。

その雰囲気が、彼にとっては『頼られていない』

『俺が美穂さんに迷惑をかけている』と思わせ、居心地悪かったのでしょう。


私も、とても悩みました。

当時の自分のアイデンティティが

『しんどい環境の中でも、大企業で重要な仕事を任されるまで成長した私』

だったので、

『彼の都合で、私のアイデンティティを捨てさせようとしている』

本当は自分の問題なのに、そう思ってしまいました。

自分を守ろうとすればするほど、

殺意が湧くほど彼を憎んでいたと思います。


でも、何かを乗り越えるときの、自分の信条としていた

『一度しかない人生、やらない後悔よりやった経験』

という、私の信条が、数年ぶりに出てきました。


今が、環境を強制的に変える流れなのかもしれない。

自分が変わるチャンスかもしれない。

そう思うと、震える声で

『仕方ない、いいよ。』

と言いました。

私の貯金を切り崩して、旦那を支えることになりました。

その決心が届いたのか

彼が離職願を出した時、上司から引き留めてもらって

1年間の休業を認めてもらい、

休業中も年収の6割を支給してもらいました。

どんなに安心したことか。



その時、私は今まで頑張ってきた

『何とかして家族を養う自分』を本当は望んでいないこと。

さらに

『私を養えないような男なら、私と結婚する価値なんてない!!』

と思っていることが分かりました。




その後、私は父の介護もあり、9年務めた会社を辞めることに。

それが201612月。

これから、家賃を浮かすため&旦那の親孝行として、

旦那の実家の北海道で義両親と同居させてもらう事になりました。

旦那は本格的に受験勉強していく中で
5月ぐらいまでは、勉強が進まない事に対してピリピリして、

その空気にお義母さんが反応するので、よく間に入って双方をなだめました。

私も札幌で活動しだし、吸収した知識とLDMを駆使して

彼をサポートすると、やっと落ち着いて勉強しだし...

6月から、4つの国立大学の医学部受験が始まりました。

さぁ、受かったかどうか??

どうでしょう.jpeg































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