本当は、"あなたという真理"から選んでいる

Fotolia_49261768_XS.jpg
 
 
僕らは、『自分』というフィルターを通してこの世界を見ています。

 
 
『この人すごい!』と思っているときですら、

『この人みたいになりたい!』と思っているときですら、

『自分も、こんな人みたいになりたい!』と憧れを感じているときですら。
 
 
『自分』というフィルターを通してみています。
 
 
弟子や生徒として、師匠や先生、マスターと(その時感じている人と)接しているときですら
"自分のフィルター" を通して『この人、私の先生!』と見ています。
 
 
一見すると、先生の教えを謙虚に学んで従っているように見えるけれど
『自分が主』で『先生が従』なのですね。
 
 
『私が認めている人』ということで
実は心の奥の奥の本音では自分側に判断基準をもっているのです。


あるマスターを賞賛して『私はかの存在を全面的にリスペクトなのです』と
言っているときですら

当の自分もそのようにパーフェクトに振舞っていると思い込んでいるときですら
実のところ『自分』というフィルターからの判断、ジャッジなのです。


では、どこをもってその教えや先生を『認めている』のか?というと
それは、僕らのやはり奥の奥にある、感覚つまりは意識です。


すでに、僕らの奥には全ての真理に繋がっている意識
真理そのものである意識があります。
 
 
その奥にある意識で感じ取っている『それ』を
いまの『自分』よりも豊かに、雄弁に、美しく、
説得力をもって表現していると感じた存在を認めているのです。
 
 
つまり、『マスターから学んでいる』のではなく『マスターと何らかの一体感』それが
表面のフィルターではなく
さらに奥にある本当の意識であったときに『この人に近づきたい!』と感じているのです。
 
 
そう、僕らは本当は『自分』に近づきたいのです。
 
 
何かの教えや先生の元にいるときですら、本当は『自分』に近づきたいのです。
 
 
本当は、すでに産まれたときから真理はとっくに掴んでいる
意識のなかに僕らはいます。幼い子供に触れるとよく分かります。
 
 
でも、怖いんですね。『我こそは、真理!』って堂々と言うのが。
 
 
教祖にでもなりたいの?って叩かれるのが怖いんですね。
 
 
『で、あなたは何様なんですか?』って叩かれるのが怖いんですね。
 
 
だから他の誰かのより『説得力』をもった存在や言葉を借りようとするのです。
 
 
何かを学ぼうとしているとき、弟子になろうとしているとき
ほとんどの場合には、僕らは『答え合わせ』をしたいのです。
 
 
自分が掴んでいる『それ』を本当に表現してもいいのかどうか?
答え合わせをしたいのです。 
 
 
そして、概ね意識の奥で感じている『それ』は正解です。
 
 
あまりにも長い間
『学ぼう』『正しい知識を身につけよう』
『ちゃんとした人になろう』『言いたいことは我慢しよう』という習慣に
浸りつづけていたのですっかり忘れているのです。
 
 
この世界に、あなたよりも『進んでいる存在』などいません。
 
 
だって、あなたのフィルターで勝手に
『遅れている』とか『進んでいる』とか判断してるんですもの(笑)
 
 
お釈迦さまの手のひらどころか、全ては自分自身の手のひらの中で
バタバタもがいているだけなんですもの。
 
 
さて、『私は、真理です』ってあなたは言えるでしょうか?
 
 
いまこの時から、この瞬間から『私は、真理です』ってあなたは言えるでしょうか?
 
 
それを言えたときから、本当の意味であなたは "ありのままで生きる"
ということができるでしょう。





無料で情報をお届け中!

『ライフ・デザイン・マガジン』
7日間でインスピレーション力®を10倍鍛えるメールマガジン。

関連する記事

 

最新の記事