綺麗ごと、大好きです

Fotolia_48641506_XS.jpg


かつての僕は、" 綺麗ごと " って嫌いでした。
なんだか恥ずかしい感覚になるんですね。

自分が綺麗ごとを言おうもんなら、
すぐさま否定したくなるんです。
 
 
綺麗ごとを言っている人をみるとなんだかザワザワして
落ち着かなくなるんですよ。

『 噓くせー! 』って。 
 
  
でもね、あるとき気づいたのです。
 
 
『 あれ? " 綺麗 " ごと ってことは、
 つまり、本当はそれを "美しい" って分かってるってことなんだよね。 』

『 美しいって分かっているから、
 それが綺麗だと感じられるってことなんだよね。 』 
 
 
 
それに気づいてから、" 綺麗ごと " の本質が分かってきました。

 
 
僕らは、生きているうちにいつの間にか

『 そんなに自分は素晴らしくはな
い 』って
感じるようになってしまうのです。

  
『 自分にはそんな立派じゃない 』とか、
『 自分はそんなに大層なもんじゃない 』

と感じるようになってしまうのです。
 
 
生きているうちに、嫌いな自分や、醜いと感じる自分ができて
自己否定を始めてしまうんです。
 
 
そんなどこか汚れちゃった自分から美しい表現がでてきても、
そのギャップが恥ずかしいんです。
 
 
嫉妬する自分、他人を馬鹿にする自分、見下してる自分、
ッチ大好きな自分、わがままな自分、自己中な自分、暴力的な自分・・
 
 
誰よりも、こんな自分がいることを知っているんですよね。
 
 
だからそんな自分から美しい表現がでてきても、

『 嘘くせー! 』って感じるのです。
 
 
美しさってね、僕らの魂に触れたときに感じる感覚なんです。

魂の領域に近い表現であればあるほど、
純粋でピュアで美しいと感じるのです。
 
 
そのときに、僕らは自分の魂に触れているのです。
 
 
僕らは、それを頭で捉えると "綺麗ごと" って感じて
恥ずかしく
なって発することができなくなるんです。


内側から湧いている美しさの感覚を素直に
表現できなくなってしまうのです。


もしかして、素晴らしくて立派な人だったら、
美しい表現をできる資格があるって思ってませんか?
 
 
そうじゃないんです。いまから、スタートしちゃうんです。
 
 
なんであっても、" 自分が素晴らしい " ってことに
開きなおっちゃうのがてっとり早いのです。
 
 
もう、ざわざわしようと、落ち着かなかろうと、
ネガティブがあろうとなかろうと、どんなに汚い部分があろうと
" 自分が素晴らしい " ってことに開きなおっちゃうんです。
 
 
もっと言うなら、奥にある "本音" をどんどん表現するのです。
 
 
本当の、" 本音 " って、魂の表現、生命の表現だから。
 
 
体裁とか、世間体とか、他人の顔色とかを伺わず、
カッコつけず、本音を表現しちゃう。
 
 
それを始めると、どんな自分であっても、
なにを言っても段々気にならなくなるんだなー。
 
 
『 なんだよ、けっこうわたし、い
いこと言ってるじゃん! 』
 
 
こうなってくるとね、何かをいうのに資格なんていらない
ってことが分かってくるんです。
 
 

だからね、もう『 素晴らしいじぶん 』になるために

成長する必要も、性格を変える必要も、スキルアップする必要も、
実績をつくる必要も、ネガティブを手放す必要も、
優れた自分になる必要なんて


ぜんぶぜんぶ、放り捨てちゃえ!ってことなんですよ。
 
 
そうしたら、あなたの中からでてくる " 美しい表現 " に
恥ずかしくなくなってきます。
 
 
素直に、ストレートに表現できるようになるんです。

" 魂の表現をいきる " ってね、深いところがぶるぶる震える
悦びを感じるんですよ。
 
 
そして、それを始めたときに、僕らは " いきてる " って実感できるのです。





無料で情報をお届け中!

『ライフ・デザイン・マガジン』
7日間でインスピレーション力®を10倍鍛えるメールマガジン。

関連する記事

 

最新の記事