"普通"でない場合には、それは "素晴らしい個性" と言ってもいい。

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今だと僕は、ADHDだか、ADDだか、発達障害と診断されて、
投薬されてしまうであろう"問題児"でした。
 
 
僕は、学校という『長時間黙って座って、落ち着いて話を聞く』
という場所では、椅子に座って10分も経つと
落ち着くことができないのです。
 
片付けもまったくできず、"ルール"なんて縛りが
あると、もうキツイキツイ。
 
 
『やりたいこと』『楽しいこと』しかできない子供で、
 
『意味のない』と感じたことは、まったく1秒とも集中できないのです。
 
つまり、学校の授業とか、行事とか、"みんな一緒"とか、"集団行動"とか
まったくもって耐えられない子供でした。
 
 
 
中学校1年の時、学校の先生に呼び出されてこう言われた記憶があります。
 
 
『 お前、クラスで浮いてるよ。病院行ったら??? 』
 
 
それは、真顔で真剣な表情でした。
 
 
『ふつうーー。』を強要される自分と、できない自分の葛藤。
 
 
しかしながら、当時は精神科とか、投薬だとかそんなんが
この分野で一般的でなく、心底よかったと考えています。
 
 
僕が、薬などで押さえられないですんだもの。

それは、感性であり、感受性であり、個性です。 
僕は、以前から人一倍、相手の気持ちを受け取る子供でした。
 
 
エネルギーや感情の動きから、相手の本音を読み取れる能力があり
ます。

 
 
『言葉』で言っていることでなく、感じていることが分かってしまうのです。
これは、いまセッションですごく役に立っている能力です。
  
 
さらに言えば、集中力が "ない"のではなく、異常なほどの集中力があるのです。
 
 
学校の授業のように、自分にとって意味の分からないものには
1秒も集中できません。
 
 
ですが、自分の興味をもったことであれば、
周りが見えないほどにのめり込むことができます。
 
 
社会人になってから、興味のあることを仕事にすることができてから、
会社で、同僚と比べて圧倒的な成果を出すこともよくありました。
 
 
自己啓発、心理学、コーチング、セラピー、女性性・男性性などに
ついても、時間間隔を全く忘れるほどに集中して
一気に、多分野にわたっての理解・実践に落としこむことができました。
 
 
僕のなかでは、"普通"、"画一的"ということについて、
そんなものは存在していないという感覚があります。
 
 
そう、ひとりひとりが違った個性があり、
ある人から見た『異常』は、『強烈な才能や個性』である可能性が
あるのです。
 
 
それを、誰かが『普通でない』と判断し、その人の捉える"普通"
押さえつける行為こそ、『異常』であると考えています。
 
 
目の前の子供の輝ける才能や個性について、
想像できるのであれば、まったく違う世界が見えるはずです。
 
 
ある、一定の、平均を "普通" だとして、それ以外を『治療』しようという
行為について、そろそろ考えるタイミングであると僕は感じます。
 
 
なにより、かつて"普通"でなかった僕が、
何の診断も治療もされなかったからこそ、いま輝いている。
 
 
だからこそ、個性も才能もいま、活かして活躍している。
その実体験があるからこそ、いまそれを強く感じます。





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